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国際政治を中心に、日本国内で話題になっているニュースを取り上げて解説、提言する。担当者は慶應義塾大学卒、国際政治学修士。 現在は「若者視点から世界を見る」をコンセプトにフリージャーナリストとして活動中。

ミャンマークーデターはなぜ発生?原因や背景、ロヒンギャ問題の影響

2021年1月31日全世界に衝撃が走りました。それが「ミャンマーでクーデター」です。

 

「民主主義が崩壊する」とも言われており、各国とも懸念を強めています。

 

そこで今回はこの「ミャンマーのクーデター」についてなぜ起こったのか、歴史や背景とともに解説いたします。

ミャンマーの基礎知識

地理

ミャンマーは東南アジアに位置して東にタイ、西にバングラデシュやインドといった国に囲まれている国です。首都はヤンゴンでしたが、2006年に移転して現在はネピドーになっています。仏教徒ビルマ族が大多数を占める国で、言語はミャンマー語です。

軍政から民主化した歴史

ミャンマーのルーツをさかのぼると、11世紀半ばのビルマ族パガン王朝を建てた頃になります。そして、近代では1886年に英国領インドに編入され、イギリスの支配下にありました。

 

そして、第二次世界大戦中に日本軍の訓練を受けた指導部のもと、1948年にビルマ連邦として独立します。その指導者の中の一人が英雄と呼ばれるアウン・サン将軍です。 

彼は今メディアで話題のアウン・サン・スー・チー氏の父です。そして、その後1962年に軍事クーデターが発生して社会主義政権が樹立します。

閉鎖的な経済政策を取ったため、ミャンマー経済は停滞して1988年に社会主義政権は崩壊します。この時に民主化のデモがあったのですが、その指導者がアウン・サン・スー・チー氏です。軍事政権側は彼女を拘束して自宅軟禁状態にします。

 

ちなみに、アウン・サン・スー・チー氏はイギリスのオックスフォード大学の学位を持っており、日本にも留学経験があります。また、イギリス時代に知り合ったイギリス人と結婚していますが、 彼女が自宅軟禁中に夫は死亡します。

また、自宅軟禁中の1991年にノーベル平和賞を受賞して、解除後の2012年にノルウェーにて正式に受賞しました。

そして、2010年に新しい憲法に基づく総選挙が実施されて、その後軍政から民主的な政府に変わって今日までゆっくりと民主化と経済改革を進ませながら発展してきました。

クーデターはなぜ起きた?原因は?

クーデターを起こしたミャンマー国軍側は2020年11月に行われた総選挙でアウン・サン・スー・チー氏が率いるNLD(国民民主連盟)が不正選挙を起こしたと主張して、不正がただされないためクーデターを起こしました。

この不正選挙を視聴する背景には、アウン・サン・スー・チー氏と軍部の緊張関係があります。

簡単に言うと、軍部の人間はミャンマーの政治にたいして強く関わることが可能で、 この部分を改革したかったアウン・サン・スー・チー氏とは仲が悪かったのです。 軍からしてみると自分の既得権益が奪われてしまいます。

その結果、不正選挙を口実にクーデターが起きたと言われています。 

ミャンマークーデター日本への影響

日系企業の影響が大きいと言われています。ミャンマーには400社以上の日本企業が現地でビジネスを展開しており、現地の駐在員の安全確認や一部では帰国対応などを求められています。 

特にミャンマー経済特区と指定されていたヤンゴン郊外の「ティラワ経済特区」には住友商事三菱商事、丸紅などが事業に携わっており、日本政府としても電力や交通などインフラに1000億近くの円借款をして支援を続けてきました。

不本意な形で政権が変わるとなると、ビジネスはもちろん国家間の関係も大きく変化しそうです。

ミャンマークーデターに対する国際社会の反応

各国はクーデターを非難するような声明を出しましたが、中国の外務省は「ミャンマーは友好国」だと言い切りクーデターを非難しませんでした。

この背景には、米中関係が悪化して中国は中国南部の内陸部からインド洋に通じるルートとなるミャンマーの地理的な重要性を考えてミャンマーを擁護したと見られています。

 

さらに、1980年代の後半から2000年の後半ぐらいまで20年間ほどミャンマーに対して一番の支援をしていたのは中国でした。当時の軍事政権が民主化を求める団体を弾圧したため国際的な非難が集まり、欧米からミャンマーは制裁を科されました。

日本もわずかながら遠慮はしていましたが、一番ミャンマーを支えていたのは中国です。

 

そのため今回のクーデターに対しても欧米諸国はミャンマーに対して制裁を課すなど厳しい姿勢を取ろうとしていますが、その一方で制裁をしてしまうとミャンマーで中国の影響力が強まってしまいます

そのため、各国は絶妙な舵取りをしなければなりません。特にアメリカではバイデン新政権が誕生し、最初の関門となっています。言い換えれば、民主主義を重視するバイデンの対応に世界中が注目しています。

ロヒンギャ問題

各国が問題に思っている事柄に、「ロヒンギャ問題」があります。ロヒンギャの定義は非常に曖昧なのですが、一般的にはインドのベンガル地方であるバングラデシュに起源を持ち、イスラムを信仰しておりロヒンギャを話す人々と言われています。

ミャンマーは仏教国であり、人口の90%が信仰しています。だからロヒンギャは必ずマイノリティになり、追いやられる存在になるのです。ミャンマー国内ではロヒンギャは不法移民だという見方が一般的です。 

そして、軍政時代には、 強制労働や財産没収などかなりひどい扱いを受けてきました。そのため、マジョリティであるミャンマー人にとっては、そういった対象の認識でしかないのです。

 

先ほど出てきたアウン・サン・スー・チー氏ですが、彼女は世界各国から民主化を推し進めたとして称えられてきました。その一方でロヒンギャ問題に対してはノータッチであるという批判も浴びていて、 最近では称賛よりも批判の方が大きくなっていました。

しかし、アウン・サン・スー・チー氏は全くロヒンギャ問題に関心を持っていなかったというわけではありません。実は現在のミャンマーの統治にふたつ問題があります。

 

ひとつは彼女にミャンマー国軍を動かす権限がないことです。ロヒンギャを嫌っているミャンマー国軍を上から統制しようと思っても、憲法アウン・サン・スー・チー氏の権限が縛られていてそれができません。

また、ふたつめが世論です。ミャンマー人の世論を見てみると、ロヒンギャに対して関心を抱いている人が少なく冷たい態度を取っています。

世論がロヒンギャ問題を解決することは重要なことだと思っていないため、「国民のために」ロヒンギャ問題をどうにかするという原動力にもなりません。

ミャンマー人のインタビューなどを見てみると、アウン・サン・スー・チー氏のことは好きで支持しているけど、ロヒンギャのことはそうではないといった考えもあります。世論とアウン・サン・スー・チー氏にねじれがあることも原因です。

 

その構造とロヒンギャ問題を残したまま、クーデターが起こり軍事政権になってしまいました。 ミャンマー国軍の方がロヒンギャに対して厳しい姿勢をとっています。そのため、ロヒンギャ問題の解決はもっと難しくなるでしょう。各国の人権団体はこの状況を危惧しています。 

まとめ

今回は2021年1月31日に発生したミャンマーのクーデターについて解説しました。ポイントとなるのは、アウン・サン・スー・チー氏と軍部の不仲、そしてロヒンギャ問題の行方です。

わたしたち日本人も同じアジアに生きる人間としてしっかりと注視していきたいですね。

ぜひ、この記事を参考にしてみてください。